>トップページ>管理人ほっさんコラム>第1回 騎手渡辺壮の衝撃
私が騎手渡辺壮を初めて知ったのは、愛馬のアテネシチー号が3走目に金沢の地方交流戦(2005年6月7日交流ロベリア賞)に遠征したときである。
私のお気に入りのホームページである、「がんばれシチー軍団」のアテネシチーコーナーに「渡辺壮ですか、すごい騎手が乗ってくれたものですね。」というような書き込みがあった。当時私は中央の騎手は障害専門の騎手や新人騎手を除いてほとんど網羅していたが、地方騎手は吉田稔や岩田康誠両騎手、それと一度だけ行ったことのある船橋競馬場でブイブイ言わしていた石崎隆之騎手くらいしかよく知らなかった。
なので、渡辺壮がすごい騎手だと言われてもさっぱりわからなかった。ただ、そんなすごいと言われている騎手が騎乗してくれるということはまんざらでもないので、愛馬の激走を期待した。
結果は地方交流戦にもかかわらず、1番人気8着(着差2.3秒で完敗)で、そのまま適当な理由を付けられて(肩ハコウ)、愛馬はそそくさとターフを去ってしまった。今思えば状態が良く、騎手が渡辺壮で地方交流戦でこの結果であれば、それは賢明な判断であったと思われる。(ちなみに私はそんな駄馬を選んだのではなく、アドリアシチー号を購入したときについてきた無料馬だったので誤解なく。一応名誉の為に)
時は流れ2006年暮れ。私はデータベースを更に詳細で奥深いものにしようと、現役地方所属騎手総てを入力し始めた。ア行から始めて丸2日。最後まで入力して、ふと気がついた。渡辺壮がいない。いないということは、現役ではないということか。私は過去の所属地方騎手を検索し始めた。するとそこに渡辺壮の名前があった。年齢もまだ若い。2005年まではばりばり一線級で活躍していた人物だ。
騎手名 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 | 3着内率 |
---|---|---|---|---|
渡辺壮 | 7701 | 27.1 | 43.6 | 57.1 |
安藤勝己 | 14056 | 23.5 | 40.5 | 53.5 |
菅原勲 | 14617 | 22.8 | 40.0 | 53.4 |
岩田康誠 | 13099 | 22.5 | 38.6 | 52.3 |
鮫島克也 | 16381 | 20.5 | 36.1 | 48.6 |
小牧太 | 15025 | 22.5 | 38.6 | 51.1 |
的場文男 | 26120 | 20.0 | 34.7 | 47.7 |
武豊 | 582 | 21.1 | 39.3 | 52.6 |
この表を見ていただいてもおわかりいただけるように、現役(2006年12月17日現在)のどの地方所属騎手よりも、また、華やかな成績で地方から中央に移籍してきたどの騎手よりも、また有力馬で地方をハントしに来る武豊騎手よりも騎乗成績が良いのだ。
もちろん、所属の金沢には他に腕のある有力な騎手が全くいないのか、また有力馬しか騎乗依頼を受けないのかなどは、私の知るところではないが、それにしてもすごい数字である。まさに地方ナンバーワンジョッキーと言っても過言ではないと思う。
私はなぜそんな彼がおいしい?騎手生活を辞めたのか理由が知りたくなった。2005年以降松永幹生元騎手現調教師のように、調教師試験に合格したのではと思い、地方競馬総合サイトを検索したが、名前が無い。そこで、渡辺壮でインターネット上で検索した。さすがに有力騎手だけあって、ホームページが作成されていた。
そのホームページを観て私は切なくなった。
彼は騎乗中に脳梗塞で落馬し、長いリハビリ生活の末、騎手生活を断念し、田舎に帰っていった。と記されてあった。
これだけの技術を持ちかつまだまだ先のあった1人の騎手が、引退を余儀なくされたことは、非常にもったいないし残念でならない。
私も似たような年齢の者として、深い衝撃を受けたとともに、人生についていつ何があっても悔いのないように、1日1日をしっかりと歩んで行こうと思った。
私が思う地方ナンバーワンジョッキー渡辺壮について、興味のある方は渡辺壮ホームページをご覧ください。